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第3回 「やるならメルローしかない」
― 五一わいん様インタビュー記事 vol.2

甘味果実酒の時代が終わりを告げ、本格ワインが求められた1970年代後半。
桔梗ヶ原では、「やるならメルローしかない」という林 幹雄氏の確信が、メルシャンの大規模改植 ― “6000本の賭け” を動かした。
第3回では、系統選抜・苗木健全化・垣根栽培といった技術的基盤、そして評価が割れる中でも現場の手応えを確信に変えていったプロセスを掘り下げます。
受賞はゴールではない。翌年も、その次の年も、変わらず “品質“ を追い続ける。 桔梗ヶ原メルローが世界に届いた理由を、具体的なエピソードとともにお届けします。

株式会社 林農園(五一わいん醸造元)
代表取締役会長 林 幹雄(Mikio Hayashi)

長野県塩尻市・桔梗ヶ原にて、父・林 五一氏とともに、日本では不可能とされていた欧州系ブドウ、特にメルローの栽培にいち早く取り組んだ第一人者。
日本のメルロー栽培と本格ワイン造りの礎を築き、桔梗ヶ原を日本屈指の産地へ押し上げた中心人物である。父・五一氏が遺した「まず植えて、畑で確かめる」という姿勢は、今も五一わいんの根幹として息づいている。

1.不可能への挑戦 ― メルロー栽培を支えた執念と技術

欧州系品種、とりわけメルローの栽培は、当初まったく理解を得られず、懐疑と孤独の中で続けられた。
しかし林氏は退かなかった。寒波への藁撒きや幹の保温、栽培様式の見直し、垣根栽培の導入、病害の兆候に合わせた細やかな管理。“教科書のない領域” を一つずつ埋めていく地道な試行錯誤が積み重ねられていった。
地域の研究会でワインを持ち寄っても、評価は割れた。それでも、東京から訪れた専門家・大塚 謙一(のちのメルシャン株式会社 常務取締役)が「これは良い」と評価したことで、林氏の手応えは確信へ変わっていく。
一方で、同じ品種を植えても他の畑では結果が出ない理由を探る中で、ウイルスの存在という見えない問題にも気づく。今日では当たり前となった「苗木の健全性」「系統選抜」の重要性を、林氏は早い段階で肌で理解していた。

Episode1
「隣の畑で結果がまるで違う。気温でも日照でも説明がつかない。」
葉脈の走り方、房のつき方、樹勢…目で追い続けて、ようやく “ウイルス” だと腑に落ちた。
「畑の表情が教えていたのに、こちらが読めていなかった。」悔しさと安堵が同時に来ました。
寒さ対策は藁を巻く、幹を保温する。垣根も考え直す。教科書がなければ、自分でページを増やせばいい――そう思って続けました。

Episode2
幹雄氏は、浅井 昭吾(元シャトー・メルシャン 勝沼ワイナリー工場長)が相談に訪れる以前から、すでに大手各社の技術者や担当者に会い、「欧州系、とりわけメルローへの転換」を繰り返し提案していた。
研究会で試作のボトルを携え、畑で得た寒さ対策や仕立ての工夫、収量の考え方まで具体的に示したが、返ってくるのは決まって「日本では欧州系は無理だ」「栽培までは踏み込めない」という壁だった。
甘味果実酒の原料供給に支えられた体制や、農家との長年の取引関係、失敗時の責任の所在――組織の論理が畑の手応えを上回っていたのである。
「自分ひとりでは広がらない。大手が本気でやらないと」― 幹雄氏はそう痛感していた。だが、まさにその矢先に市場が甘味果実酒から本格ワインへと潮目を変え、業界全体が次の一手を探り始める。
そこへ現れたのが、浅井 昭吾だった。
幹雄氏の答えは短い。「やるならメルローしかない」。その言葉は、長く閉ざされていた扉を一気に押し開き、桔梗ヶ原のメルローが “6000本” という速度で次の章へ駆け上がっていく起点になった。

ブドウ生産者の勉強会

2.6000本の賭け ― メルシャンとの協働が切り拓いた市場

甘味果実酒が衰退し、本格ワインへの転換が求められていた1970年代後半。
そのときメルシャンで栽培品種の見直しを担っていたのが、“現代日本ワインの父” 浅井 昭吾だった。
浅井から相談を受けた林氏は、迷わず「やるならメルローしかない」と伝えたという。
浅井はその言葉を真摯に受け止め、メルシャン社内で大規模改植を説得。さらに驚いたことに、「6000本」という前例のないスケールで一気にメルローの植え付けが決定した。
これは途方もない賭けであり、林氏自身も「失敗したらどうする」と不安に駆られたという。
改植は一様に成功したわけではない。畑による品質差、ウイルス、系統選抜不足など、多くの課題が露呈した。
それでも林氏はメルシャンと地域農家に惜しみなく知見を伝え、共に改善を重ねていった。
そして1989年、「シャトー・メルシャン 信州桔梗ヶ原メルロー 1985」がリュブリアーナ国際ワインコンクールで大金賞を受賞。日本ワイン史を変える瞬間となった。
6000本の賭けは、「日本のワインをどうするか」という強い意思と、「桔梗ヶ原の覚悟」が結実した出来事だった。

Episode
「浅井さんに『やるならメルローしかない』と言いましたが、まさか本当に6000本とは…正直、怖かった。」
一斉に配った苗からは畑ごとの差がはっきり出た。系統の選び方、ウイルスの問題――講習で知っていることは全部出しました。
リュブリアーナ国際ワインコンクールの大金賞の受賞の知らせが届いた日に、これまでのメルロー栽培にかけた想いが、畑で体現してきたことが、世界にも認められたと感極まった。
翌年もその次の年も畑と真摯に向き合い、挑戦し続けようと強く誓った。

昭和51年春 塩尻 メルロー 冬季防寒
昭和51年 塩尻 メルロー

3.結び ― 次の50年への想い

気候は確実に変わり、山梨での栽培の難しさ、北海道や高標高地の台頭など、産地の勢力図も動きつつある。その中で桔梗ヶ原は、昼夜の寒暖差や風通しといったブドウ栽培に適した環境をいまだに備えている。
ただし「健全な苗木」「適地・適品種」「栽培様式の最適化」を欠けば、良いワインはできない。
これらは林氏が長年の経験と検証から導いた揺るぎない結論だ。
ピノ・ノワールの挑戦、ドローンを活用した農薬散布など、林氏の視線は未来に向いている。
「やってみなければ分からない」―その姿勢は今も変わらない。50周年はゴールではなく、“次の50年をどうつなぐか”という問いを私たちに投げかける節目なのかもしれない。

Episode
幹雄氏はインタビューの最後にこう仰られておりました。
「『健全な苗木』『適地・適品種』『栽培様式の最適化』―これが揃わないと良いワインにはならない。」
ドローン散布も、風の使い方次第でもっと良くなるはず。上から下へ、ではなく風を設計する。垣根式栽培は、まだまだ良くできる可能性がある―「やってみなければ分からない」は、これからも変わりません。

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