第6回 桔梗ヶ原メルロー改植50周年
受賞の先へ ― 次の50年を見据えて インタビュー記事 vol.5
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受賞は“瞬間”ですが、評価は“継続”の中でしか証明できません。
上野氏が語るのは、1980年代に高品質を実現するために下した意思決定、醸造アドバイザーから受けた「フランスの再現ではない」という示唆、そして1社の成功にとどまらず、地域全体の信頼として価値を積み上げていくという考え方でした。
さらに、過剰生産や在庫といった厳しい局面に直面しても、ブドウを“農作物(経営作物)”として捉え、地域と生産者の信頼を切らずにワイン造りを続ける揺るぎない姿勢がありました。
今回は、受賞の「その先」にあった挑戦と、上野氏が見据える「次の50年」に迫ります。
上野 昇(Noboru Ueno)
シャトー・メルシャン 元勝沼ワイナリー工場長
1975年、三楽オーシャン株式会社(現・メルシャン株式会社)入社。
当時、同社初の果樹を専門とする大卒技術者としてブドウ栽培・原料開発に携わる。入社直後より、長野県塩尻市桔梗ヶ原をはじめとする産地で欧州系品種の導入、栽培技術の確立、生産者指導に尽力。1970年代後半から始まった桔梗ヶ原におけるメルロー改植では、現場の最前線で栽培技術の検証と普及を担い、日本を代表するメルロー産地の土台づくりに貢献した。
その後、醸造・栽培の両面からワインづくりに関わり、工場長として現場を統括。退任後も、日本ワインの技術発展と人材育成に深く関わり続けている。
目次
1.品質への覚悟―「300樽」の新樽導入
1980年代半ば、より高品質なワインを目指すために、醸造工程でもさまざまな意思決定が行われました。その象徴の一つが、樽の大量導入です。
それまで主にリユースの大樽を用いていたところへ、小樽(バリック)を意識的に導入し、早期に世界に通用するワインを造るために、300樽というスケールで踏み切ったといいます。
上野氏はこの判断を「品質への覚悟そのものだった」と振り返ります。こうした積み上げが、世界へ踏み出す土台になっていきました。
Episode
上野氏が覚えているのは、「300樽」という数字と搬入の光景です。大量の新しい樽を見たことがなく、トラックの中の2段積みの新樽が強烈に記憶に残っているといいます。
少量の試しではなく一気に導入したことで、「ワイン銘醸地と同じスタートラインに立てた」という思いがこみ上げてきました。
2.「フランスじゃない」―日本のテロワール表現へ向かう助言
「国際コンクールでの受賞ではそのワインのみが評価されるだけで、桔梗ヶ原の未来はない」と考えた上野氏は、外部に意見を求めました。
1998年から、フランス・ボルドーの格付第1級「シャトー・マルゴー」の総支配人兼最高醸造責任者、ポール・ポンタリエ氏をアドバイザーとして招聘していたため、ポンタリエ氏からの意見も求めながら、次の方向を探っていきます。
返ってきた助言は明確なものでした。目指すのはフランスの再現ではない。
桔梗ヶ原の風土をどう表現するか。その問いが、品質追求の軸になっていました。「フランスじゃない」という言葉は、答えではなく方向を示す言葉でした。
その助言を受け、「日本のテロワールとは何か」を常に考え続けました。
また、上野氏の考えは「1社が良くても、地域が評価されなければ産地にはならない。」と一貫し、上野氏の話はいつも最後に“産地”に着地します。
講習会や技術共有が重視されたのも、「自分たちだけの成功」で終わらせない、産地としての信頼を積むためでした。受賞後こそ、地域としての底上げが問われる。そのため、1989年「信州桔梗ヶ原メルロー 1985」がリュブリアーナ国際ワインコンクールで大金賞を受賞した際には、生産者やワイナリー、行政を含めた塩尻市全体で祝賀会を実施。積むべきは会社の手柄ではなく“地域の信頼”。勝ち方の単位が会社ではない、という視点が背骨でした。
Episode
ポンタリエ氏からの助言は手厳しい。「フランスじゃない」。
最初はピンと来なくても、あとから効いてくる言葉だったと上野氏は語ります。
濃縮して“それっぽく”するのではなく、日本の風土で育った成熟したブドウからその良さを引き出し、フィネスとエレガンスを体現した日本ワインを目指せという方向付けでした。
2013年の再来日時に、「世界中でアドバイザーをしているが、私がアドバイスした後、メルシャンは独自の取り組みで素晴らしいワインを造っている。世界中でメルシャンが一番の優等生だ。」とすごく喜んでくれたことが今でも強く記憶に残っているといいます。
毎年毎年、いいものを造ろうぜって言ってくれた仲間たちに感謝だと、笑顔を見せていました。
3.ワイン造りは「農作物」―地域の信頼を裏切らないために
メルロー改植から年数が経過し収穫が安定すると、今度は需要の高まりとともに「過剰」という課題が現れます。
生産が増えれば在庫も生まれる。そのとき「止める」のではなく、「どうつなぐか」を考える。ブドウは農作物(経営作物)であり、信頼で成り立つからです。
上野氏は1993年を「一番厳しい年だった」と振り返ります。
メルローだけで300t規模の収穫になり、ブドウのままの販売や新商品の開発などを試みても、すべてを吸収するのは容易ではなかった。そこで当時の商品構成や香味バランスも見直しながら、持続可能なブドウ生産と醸造をあらゆる角度から検討したといいます。
ここでも繰り返し語られるのは、産地形成のために、関係を切らず、次へつなぐ“ソフトランディング”の発想でした。
Episode
厳しい年の経験は、「現状に満足せず、改善し続ける」姿勢をいっそう強めました。
上野氏は、目先の解決だけでなく、次の年、さらにその先につながる形で改善を積み重ねることの重要性を繰り返し語ります。危機の時ほど、関係を切らず、学びを共有し、次の品質向上へつなげる―その姿勢が支えになったと語ります。
4.次の50年に向けて―競い合いながら高め合う未来へ
「フランスじゃない」という助言を起点に、棚栽培から垣根栽培への切り替えも進みました。
さらに、日本のテロワールを表現するために、単一品種だけではなく多様性も視野に入れていく。高品質なワイン造りを続けるには、改善を積み上げる姿勢に加えて、互いに高め合う存在が必要だ――上野氏はそう考えています。
その文脈で語られるのが、塩尻市内で2016年に開園した片丘地区です。
温暖化も見据えた高標高の圃場で、新たな品種も試す。桔梗ヶ原と片丘が並走し、競い合いながら高め合う未来。その先に「次の50年」が見えてくると上野氏は語ります。
そして結論は明快でした。「日本のテロワールを表現する究極は単品ではなく複雑性」。産地の成熟を“表現の厚み”として描いていくという視点でした。
Episode
「究極は単品じゃなくて、他の品種が入って複雑性が高まる。」
変化する気候、変わる栽培様式、増える選択肢。そのなかで鍵になるのは、単一の正解ではなく、積み上げた経験を組み合わせて“表現の厚み”をつくることでした。
50周年はゴールではなく、次の50年への問いの起点になる。
<結び>
桔梗ヶ原地区でのメルロー改植は、混植で始まり、失敗を学習に変え、世界基準と向き合いながら、産地として継続してきました。
上野氏が語る50年は、華やかな結果だけではなく、“成立させるための準備”と“続けるための工夫”の連続でした。
改植50周年は、過去を讃える節目であると同時に、「次の50年をどうつなぐか」を私たちに投げかける起点でもあります。
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